先日神奈川のホームをご案内したかたのお話しです。
この一年、足腰が急激に弱くなり、転倒と入退院を繰り返し、
ついにホームに入居する決心をされました。
ご主人に先立たれ、子供もおらず、姪も遠くに住んでいるため、
いわゆるおひとりさまでしたが、
契約する直前になって、土壇場で入居をおやめになりました。
一体、どんなことがあったのでしょうか。
このかたは都内の高級マンションにお住まいの女性です。
おひとり住まいです。
以前より手術歴が数多くあり、
なんとか歩行ができていたものの、手足とも不自由をされていて
腕も足も腕力が衰えてしまい、よろめくことが多くなっていました。
あるとき、都内の百貨店でエレベーターが来るのを待っていたところ、
後方に気がつかない他のお客が急に後ろに下がってきたため
体当たりを食らった格好になり、転倒をしてしまいました。
それから長い間、入院をすることになってしまいました。
数か月後に退院をしたものの、また転倒をして入院してしまい、
二度ほど入退院を繰り返し、苦労をされてしまいました。
これまで、ご資産の整理だったり、
将来の不安のときのために遺言書を作ったり、
後見契約を作ったりしていて、
ご自身の行く末に対して積極的に取り組む用意周到な方だったので
老人ホームについても見学や入居の予約をお勧めしていたのですが、
1年ほど前にもホームを見に行ったものの「まだ先のことだから」ということで
お決めにはなりませんでした。
先月になって、とても眺めのよい高級なホームがあるよとお伝えしたところ、
不安を感じてやや心が弱っていたためか、
見学を快諾されました。
部屋の眺めや全体の雰囲気も良いと評価をされ、
ついに契約準備に進みました。
ですが、ギリギリのところでお辞めになりました。
その理由としては、
自分でまだ一人の生活を楽しみたい
というものでした。
要介護度は2で、判断力はかなりあるほうです。
今のお住まいや環境がとても気に入っておられました。
今回、有料老人ホームを見学されたのですが、
やはりその生活を「不自由だ」と思われたそうです。
であれば、サービス付き高齢者向け住宅に入居し、
まだまだ自分の部屋で自由な生活をしておきつつ、
なにかあれば介護サービスを付けたり増やしたりすればよいと考えるのですが、
「それなら今のままの生活を続けてると変わりがなく、
不自由になってからホームに入ればいい」
とのことでした。
とても強い自宅へのこだわりでした。
紹介会社としてなかなか提案の難しいところなのですが、
サービス付き高齢者向け住宅と有料老人ホームは一長一短があります。
サービス付き高齢者向け住宅は、
自分の能力さえしっかりしていれば、自分で自由に外出できるし、
炊事選択も自分でできるし、
急な体調の変化の時のために見守りもしてくれます。
お風呂も好きな時に入れます。
お部屋も比較的大きいです。
食事が作れなくても事前に申し込みをすればレストランや食堂で食べれますし、
クリーニングや洗濯もお願いできます
(一部、サービスがない住宅もあります)
ですが、建物の責任者により一人での外出がダメだと判断されれば
外出も不可ですし、入居も考えなくてはいけなくなります。
見守りがあると言っても、重度になると目が届かないというリスクが
運営側にも入居者側にも命取りになります。
「介護が避けられない」という体調の方にはお勧めできないわけです。
一方、有料老人ホームではヘルパーや介護士、リハビリ担当など、
多くの方が目を光らせてくれていますので、
安全面・介護面ではとても安心感があります。
その代わりに、自由度がかなり下がります。
キッチン自体がついていない部屋がほとんどですし、
食事は1日3回決まった時間、入浴も週2回(または3回)、決められた時間となります。
外出には許可や事前の連絡が必要になります。
なにより部屋の大きさがかなり小さくなります。
まとめてしまうと、
「自由な自分の生活」と「やや不便な共同生活」の違い、
ということになります。
ですので、最近の施設では、
体調に異変があったときから有料老人ホームを探さなくてもいいように、
早めにサ高住に入居をしておきつつ、
何かあれば同じ会社の別の有料老人ホームにすぐに引っ越しができるプランや、
同じ建物内で、サ高住のフロアから有料老人ホームのフロアに移動するだけで
引っ越しが完了するプランが整えられているところもあります。
このかたは、いろんな点では用意周到な方ではあったのですが、
どうしても、この「やや不便な共同生活」ではなく、
今の「自由な自分の生活」を強く選択したかったんですね。
サ高住を選択せず、自宅を選択するほどに
自宅に対する愛着の強い方でした。
家族に依存することなく、自分一人でよくよく考え抜いた末に
そのような強い意志を表明できるかただからこそ
入居断念という判断に至ったというわけでした。
将来の不安を感じながら、葛藤を越えて決断されました。
なかなかできることではないと思います。